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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)5942号 判決 1964年5月09日

原告 阪本耕三

被告 国

訴訟代理人 河津圭一 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金一、五五五、一八〇円およびこれに対する昭和三六年八月六日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言とを求め、請求原因としてつぎのとおり述べた。

「一、原告は旧名を阪本清治郎と称し、特許番号第二〇八、七五四号、発明の名称パンク防止液についての特許権(以下本件特許権という。)を有していたところ、本件特許権につき昭和三五年八月二二日、同月三日受付第二、〇八八号をもつて、訴外村井物産株式会社(代表者訴外村井玄次、以下訴外会社という。)のため範囲を全部とする専用実施権設定の登録がなされた。

二、右の専用実施権設定の登録申請書およびその添付書類である実施許諾書中の登録義務者の表示は「坂本清治郎」と記載され、使用印鑑も「坂本」なるものが使用されていた。従つて特許庁担当官は、登録義務者の表示が特許原簿上の原告名「阪本清治郎」とは相違しているとして、その申請を却下すべきであつたのに、過失によりこれを看過して申請を受付け、これに基き前記のように専用実施権設定登録をしてしまつた。

三、そこで原告は訴外会社を相手方として東京地方裁判所に、右登録にかかる専用実施権行使禁止等の仮処分を申請し(昭和三五年(ヨ)第六、七二八号)、また専用実施権設定登録抹消登録手続請求の訴を提起し(昭和三六年(ワ)第二八七号)、さらに昭和三六年四月五日訴外村井玄次は昭和三五年一一月一四日受付第二、九七一号をもつて訴外会社から専用実施権を譲受けて取得した旨の登録手続を経たので、原告は訴外村井を被告として専用実施権取得登録抹消登録手続請求の訴を提起し(昭和三六年(ワ)第四、〇八五号)、右両事件につき、原告は昭和三六年七月一一日訴外会社および訴外村井との間において

(1)  訴外会社は前記専用実施権設定登録の抹消手続をすること、

(2)  訴外村井は前記専用実施権取得登録の抹消手続をすること、

(3)  原告は訴外村井に対する公正証書等不実記載、私文書偽造を理由とする告訴を取下げること、

の条項による和解をした。

四、被告は右のとおり公務員たる特許庁相当官の過失によつて専用実施権設定登録がなされたため、原告の蒙つた損害を賠償すべき義務あるところ、原告の蒙つた損害はつぎのとおりである。

(一)  前記登録がなされた昭和三五年八月二二日から前記和解の成立した昭和三六年七月一一日まで実施料相当の一月金一〇〇、〇〇〇円の割合による金員合計金一、〇六〇、〇〇〇円。

訴外会社は専用実施権の設定登録を受けると直ちに、専用実施権者であると称して、みずから本件特許権に基く製品を製造販売した。従つて特許庁担当官の過失による右設定登録と訴外会社による本件特許権の侵害に基く原告の損害との間には、相当因果関係が存する。

実施料相当額算定の根拠はつぎのとおりである。すなわち、原告は昭和三六年八月一日訴外日綿実業株式会社に対し本件特許権について、範囲を販売に限定した専用実施権を設定したが、これによつて原告の受ける利益は一ケ月金二五〇、〇〇〇円である。右金額には原告が製品を製造することによる利益と純然たる実施料とを含んでおり、前者は一ケ月金一五〇、〇〇〇円と認むべきであるから、実施料相当額は一ケ月金一〇〇、〇〇〇円である。

仮りに右が理由がないとしても、原告は訴外会社による右の設定登録のなされたことを知らず、昭和三五年一〇月下旬には、訴外日綿実業と専用実施権設定契約の締結を交渉中であり、おそくとも同年一一月中には契約が締結される筈であつたのに、当時にいたつて訴外会社のため右の登録がなされていることが判明したため日綿実業との契約は成立寸前保留され、該登録が抹消された直後の昭和三六年八月一日漸く締結されるに至つた。従つて原告としては訴外会社のなした設定登録により、少くとも昭和三五年一二月から同三六年七月までの間、原告が日綿実業から取得すべかりし実施料相当額を失つた。そして原告と日綿実業との契約によれば、同会社は販売面の専用実施権を取得する代りに、原告から一月少くとも四、〇〇〇罐の製品を一罐二五〇円で買入れることになつており、その価格の一割すなわち一罐につき二五円、四、〇〇〇罐で合計金一〇〇、〇〇〇円が実施料に相当するから、原告の失つたうべかりし利益は少くとも金八〇〇、〇〇〇円である。

(二)  前記訴訟事件および告訴事件につき、原告がその住所である京都市から東京に出張した旅費、日当、宿泊代等合計金二九五、一八〇円(別紙計算書<省略>記載のとおり)。

(三)  原告の受けた精神的苦痛に対する損害賠償として金二〇〇、〇〇〇円。

前述のとおり訴外会社のした実施権の設定登録を発見したため、原告と日綿実業との間に進行中であつた専用実施権設定契約は成立直前保留されたのであるが、原告は老年であり、本件特許権の利用により生計を立てていたものであるところ、日綿実業という大資本が販売面を引受ければ、その発明が更に普及し、原告の生活も安定すると期待していたため、日綿実業との契約が保留されたことにより、多大の衝撃を受け、他方これを見越して増設した過剰設備をかかえ、また訴外会社の売込によつて販路をせばめられ、塗炭の苦しみを味つた。これら精神的苦痛に対する慰藉料は金二〇〇、〇〇〇円が相当である。

五、よつて原告は、被告に対し、前項の(一)ないし(三)の合計金一、五五五、一八〇円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三六年八月六日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、つぎのとおり述べた。

「一、請求原因第一ないし第三項記載の事実は認める。原告主張のその余の事実は争う。

二、原告と訴外会社との間においては、本件特許権についての専用実施権の設定契約が成立していた。すなわち訴外会社はかねて原告から本件特許権に基く製品であるパンク防止液「セーフ」の販売につき協力を求められていたが、訴外会社は当該製品につき公開実験をなし、その新聞報道を宣伝に利用して販売を促進する計画を立て、訴外会社がその発表者としての資格を具備するため、昭和三六年七月二四日常務取締役柴鉄男をして原告の許に派し、訴外会社のため専用実施権を設定するにつき原告の承諾をえた。もつとも数日後原告は訴外会社に対し疑義を申し入れて来たが、訴外会社では訴外難波幸男をして原告方を訪ねさせ、原告の了解をえた。

三、仮りに本件専用実施権の設定およびその登録につき、原告の同意があつたとのことが認められないとすれば、特許権者に無断になされた右専用実施権設定登録は訴外会社、訴外村井および特許庁係官の共同不法行為となり、原告に対する訴外会社、訴外村井および被告の相互関係は不真正連帯債務と解すべきものである。しかし本件登録は訴外会社または訴外村井のためになされたものであり、また特許庁係官をしてこの登録をさせた者も右の者らであつて、係官は右の者らが原告名を冒用して作成した申請書を真正なものと誤信させられて、登録を行つたにすぎない。従つて原告の損害を補填するための財産的負担を究極的に受忍すべきものは被告ではなくして、訴外会社もしくは訴外村井であるべきで、右三者間の負担部分は訴外会社もしくは訴外村井が全部であり、被告は零である。しかるに原告は訴外会社および訴外村井とその主張どおりの和解をした。右の和解の内容は、訴外会社および訴外村井はそのなした専用実施権の設定および取得登録につき抹消登録をなし、原告は訴外村井に対する告訴を取下げること、と定めるとともに、「訴訟費用は各自弁とする、」と定めている。そして右和解の実質はこれにより原告と右二者間の争いの一切を解決することにあつたから、原告はこの和解により訴外会社および訴外村井に対して告訴事件および訴訟事件に関する諸経費の損害賠償義務はもとより、その他本件不法行為による一切の損害賠償義務を免除したというべきである。そして原告が右両名に対し一切の損害賠償義務を免除した以上、右両名と連帯債務者の関係にあり、かつ内部関係において負担部分零である被告はその免除の効力を受け、原告に対する一切の損害賠償義務を免れたものである。

四、仮りに被告は原告に対し損害賠償義務を負うとしても、原告が損害を受けたについては過失があるから、過失相殺さるべきである。すなわち原告は本件専用実施権設定の登録がなされた事実をおそくとも昭和三五年八月中には認識したのに拘わらず、直ちにその登録の是正または訴外会社による製品の製造販売を防止するための必要な措置を講ずることなく、昭和三六年に至つて漸くその主張の訴訟手続をとつたのであり、右の原告の緩慢な行動がその損害拡大の原因をなしているのである。

原告訴訟代理人は、被告の抗弁に対し、つぎのとおり述べた。

「一、答弁第二項記載の事実のうち、原告が訴外会社の取締役柴鉄男から本件特許権についての専用実施権の設定を受けたき旨の申込を受けたことは認めるが、その余はすべて否認する。該申込に対して原告は一応回答を保留し、昭和三五年七月三一日拒絶の回答をした。

二、答弁書第三項記載の事実のうち、訴外会社、訴外村井および特許庁係官ひいては被告の三者が共同不法行為者として原告に対し不真正連帯関係にて損害賠償義務を負担するとのことは認めるが、その余は否認する。

三、答弁書第四項記載の事実は、すべて否認する。」

証拠<省略>

理由

一、請求原因第一、二項記載の事実は当事者間に争いがない。

二、つぎに原告が訴外会社に対し、本件特許権につき昭和三五年七月二四日専用実施権設定契約を結んだ、との被告主張について判断する。

右同日訴外会社の取締役柴鉄男が原告に対し、右の契約申込をしたことは当事者間に争いがないけれども、原告が右の申込を承諾したとのことについては、これにそう、証人村井玄次の証言、これにより成立の認められる乙第一二号証の記載および証人難波幸男の証言は、原告本人尋問の結果、成立に争いのない甲第八、九号証が調印されないままに原告の手裡に存する事実、証人村井玄次の証言により認められる乙第一一号証中の原告名(但し坂本清治郎と記載)下の印影(坂本と表示)は訴外会社の社員の手によつて捺印されたことおよび成立に争いのない甲第一〇号証に照し、たやすく信用し難く、他にこれを認めるに足る適確な証拠は存在しない。またその直後原告が訴外会社の社員である訴外難波幸男に対し右設定契約につき了解を与えたとの被告主張事実も、これを認めるべき証拠が存しない。

三、従つて被告としては、公務員である特許庁係官が特許原簿記載の特許権者と表示の異なる者を登録義務者として申請された訴外会社のための専用実施権設定登録申請(添付書類たる実施許諾書中の登録義務者の表示も同様)の不備を看過して、これを却下することなく受理し、前示登録(昭和三五年八月二三日、同月三日受付第二、〇八八号)をしたという一連の行為により、本件特許権者である原告に対し、その蒙つた損害を賠償すべき義務を負つたということができる。

四、しかるに、右認定の本件特許権についてなされた専用実施権の設定もしくはその登録につき、原告の同意が認められないとすれば、それは訴外会社、その代表者である訴外村井および特許庁係官の共同不法行為と認むべく、原告に対する損害賠償につき被告は訴外会社および訴外村井とともに不真正連帯債務を負うと解すべきことについては、当事者間に争いがない。そして上に認定した事実により明らかなとおり、前示実施権の登録は訴外会社のためその申請に基きなされたものであり、特許庁係官は訴外会社が作成した申請書およびその添付書類を真正なものとして登録を行つたにすぎないのであるから、これによつて原告に生じた損害を賠償するについて、右三者間においては終局的には訴外会社もしくは訴外村井が全責任を負うべきものであり、被告は仮りに原告に対し損害の賠償をしたとすれば、その金額をさらに訴外会社もしくは訴外村井に対し求償しうべき関係にあつて、結局右の連帯債務関係において、訴外会社および訴外村井の負担部分が全部であつて、被告の負担部分は零であると認められる。

五、さて請求原因第三項記載の事実は当事者間に争いがない。そして右の事実と証人村井玄次、原告本人尋問の結果によれば、右の和解の趣旨は、当時原告としては一刻も早く専用実施権設定登録の抹消を希望しており、かつ訴外会社もしくは訴外村井からはそれまで本件特許権に基く製品の販売につき協力を受けた間柄でもあつたことから、原告は訴外村井に対する刑事告訴を取下げることは勿論、訴外会社および訴外村井に対する損害賠償の要求等も一切これを断念する代りとして、訴外会社らは直ちに登録の抹消の手続をすることとの条頃ですべてを円満解決するにあつたことが認められる。右認定に反する原告本人尋問の結果の一部は前掲証拠に照し採用し難い。

そうとすれば、和解条項にはその旨の明文はないにせよ、原告は右和解において訴外会社および訴外村井の原告に対する一切の損害賠償債務を免除したものというべきであるところ、訴外会社、訴外村井および被告の原告に対する債務はいわゆる不真正連帯債務であるといつても、前認定のとおり本件加害行為にあつては訴外会社および訴外村井が完全に主導的地位にあつて被告の負担部分は零であり、そのことは原告も知りうべかりしものであつたことから考え、民法第四三七条の趣旨に従い、原告の訴外会社および訴外村井に対する損害賠償義務の免除は、被告にもその効果を及ぼすべきものと解するのが相当である。

六、以上によれば、被告の抗弁は理由があり、その余の点を判断するまでもなく、本訴請求は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉岡進)

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